始まってる新時代

山田担を拗らせたジャニヲタです

原作を読む前と、読んだ後での映画「グラスホッパー」

 

なんなら映画公開する前から書こうと思っていたネタではありますがわざわざ書くほどでもないかなと思った(面倒になった)ので書いていなかった内容です。が、グラスホッパーに引くほど思い入れてる芸人として書き残すべきではないのか、と思ったので書きます。無駄な使命感。自己満です。ネタバレあり。マイナス発言あり。

 

 

グラスホッパーについては完成披露試写会に行った際に書きましたが、内容についてはほぼ触れていなかった、と思います。わたしはグラスホッパーの公開が決まったときから、まずは原作を読まずに見て、その後原作を読んでまた見ようと決めていました。(ガチ勢)そして先日、原作を読み終え再び映画を見に行ってきました。とはいえ2回映画を見た後では原作を読んでいても映画のシーンが浮かんでしまって、原作を読んでから見た人と完全に同じ感じ方をすることは出来ていないと思いますが…。

 

正直に言おう、完成披露試写会後にあれだけ褒め称える文を書いておきながらあれですが、初めて見た時に思ったのは「ウーン、山田が出てなかったらもう見なくていいな」ってことでした☆クソオタ☆

 原作がどうであるのか、という先入観が全くない状態で見たので、それぞれのキャラクターや話の流れに対する違和感を感じることはもちろんなかった。登場人物それぞれのキャラクターが掴みやすくて、彼らがどう交わっていくのか、次の展開にハラハラしながら見た、途中までは。何より結末が期待外れだった。それぞれの背景を理解しきれず、蝉と鯨にいたっては、えっ あんまり関係のないところで勝手に死んだな?みたいな部分すらあった。あれだけ人気のある小説が原作だしこれで終わるはずがないと思って、最後まで「か~ら~の~?」と思い続けて終わった。全く面白くなかったわけではない、でもどこか腑に落ちなさとかスッキリしなさに包まれたのでした。

その原因は原作を読んだことではっきりしたように思います。

原作を読んで思ったのは、「あっ 事件としての真相は原作でもこんなもんなんだ」ってことで。話の筋であったはずの復讐を、言ってしまえばポっと出の登場人物がその目的もあまり分からないままに果たしてしまうんだ…という思いがあったけど、それは原作でもほぼ同様なんですね。それでも映画にあった腑に落ちなさが、原作にはなかったのは、登場人物の"死に様"がそれぞれ丁寧に描かれているからだろうな、と思います。原作では登場人物の人生が絡み合いながら、それぞれがそれぞれに死んでいく。それぞれのストーリーが充実していて、ちゃんと交差しているから"お話"としての結末がアッサリとしたものでも、物足りなさを感じないのかなと思いました。

映画のたった2時間ではそこまで描ききれないのは当たり前で、そういった意味ではキャストの配役・キャラクターや脚本に、原作とまるで違う(怒)という抵抗感は全く感じなかったですが、そうであるならもっと"お話"としての結末を強化しても良かったんじゃないのかなと思ってしまいました。でもそれだともっと原作とかけ離れた抵抗感の強いものになってしまうんだろうか。…小説を映画にするって難しいね!(結論)


でも蝉と岩西の関係なんかは、わたしは映画の方が温かみがあってとっても好きです。原作では岩西への反抗心だったり対抗心みたいなものが蝉を動かしていたのに対して、映画では岩西への信頼とか"相棒"という関係性に動かされていて。どちらにせよ岩西がいなければ殺し屋として生きられない蝉はちょっぴりキュートですごく人間味のある愛すべきキャラクターだなと思うし、そういった意味でも映画の蝉の方が原作よりも好き。(きっと贔屓目)


一足先に作品を見て、ヲタクじゃない人含め色んな人に 「グラスホッパー面白い?」って聞かれたけど、そこに関してはどうしても明確に答えられなかった。もちろん面白いって言ってる人もたくさんいるし、原作を読む前と読んだ後ってだけでも感じ方が変わるのだから人それぞれなのだと思う。

でも、アクションシーンはもちろん蝉の葛藤や、そういった愛らしい部分も演じきった山田の演技は自信を持ってオススメしたい。(※演技には全く詳しくない)

賛否両論で、世間で大ヒット大ブレイク大注目とまではいかなくとも、誰かの目に止まって俳優・山田涼介の今後に繋がる作品であってほしいなと思うし、きっとなる。と思いたい。


原作を読む前の方が素直にシンプルに映画自体を楽しめたので、まずは原作を読まないで見る作戦、個人的には正解だったなと思います。今後、原作有の映画が公開される担当の方はよろしければぜひ。(笑)