就活の闇に包みこまれた話。
超絶私事ですが、つい先日就活をほぼ終えました。
これでもう関わらなくなる人(エージェントを複数利用していたのでその方々とか)もいっぱい居て、なんだか寂しさも感じているところではありますが、どこぞの意識高い系みたいに「就活大変だったけど、たくさんの人に出会えてなんだかんだ楽しかった☆」なんていう気は1ミリもない。
つらかった。ただただ、つらかった。
結果としては、内定先にも納得出来ているし内定もいくつか頂くことが出来ました。でも、ジャニヲタならではの就活をして成功したわけでも、後輩達に有益なアドバイスが出来るわけでも全くない。だって就活がどういうものであるかなんて今でもサッパリ分からない。ただの闇だった。
ただわたしが就活にもがき苦しんだ話です。自己満ですので悪しからず!
(形式上は)選考が8月解禁となった今年の就職活動。実際は8月解禁も、それによる学業優先もどっかの偉いおじさんの頭の中だけのお話で、8月には既に内定率は7割近いと言われていたし、何が悲しくて卒論にも手が付けられないままクソ暑い中リクルートスーツを着て歩き回らなきゃいけなかったんだ。
8月選考開始をやっぱり辞めようみたいな動きもあって、心を持った人間が大量に動いてるのに「失敗したかも」じゃねーよって感じです。わたしの夏を返せ!。・°°・(>_<)・°°・。
実際8月までに多くの友人は就活を終えているか、大手の本命のみを残して内定を獲得していたようでした。(連絡をとっていなかったので実際は知らない)私1人置いてかれてる状況で、9月1日に大学の友人のグループラインが「就活おつかれ~!」の流れになったときは、そっとLINEの通知を切った。
わたしは途中まである業界に絞って完全に舐め腐った就活をしていて、その業界が全滅したときには7月の末だった。とりあえずHey!Say!JUMPのツアー初日仙台に弾丸日帰りで楽しく参加し()、帰ってきてようやく「やばくね?」って思った。(遅い)
8月にはもう大手の採用しか控えておらず、優良求人もだいぶ減っているように思えた。ていうかそもそも志望業界の選考終わってるからやりたいことなんてないに決まってた。→ブラックじゃなくて土日休みでコンサートに行けて早く選考を終えてくれる企業が良い→そんな企業見つからない、あっても志望動機が弱いから選考通過しない→周りもどんどん就活を終えていく→闇に飲み込まれる
・"死にたい"の意味が分かるようになった
ヤバそうだけど安心してください、元気です。(笑)
これまで割と楽観的に生きてきたわたしは、死ぬくらいなら全部投げ出して逃げちゃえば良いのにって思っていました。…逃げることも怖かった。このまま就職決まらなかったらどうしよう、もう就活したくないな、そう思ったときに別に今年就職することだけが道じゃないと逃げられたら良かったけど、4大まで入れてくれた親に恩返ししたいなあとかもう迷惑かけたくないなあとか、周りにどんな目で見られるのかなあ、とか考えてもう八方塞がりなんですよ。さすがにわたしは死にたいとは思わなかったけれど(重要)逃げても必ずしもラクになれるとは限らないんだなあと思いました。
これを理解するのと時を同じくして親の話すると泣きそうになるようになりました。(笑)面接で「尊敬してる人は?」という質問に咄嗟に両親と答えてしまって自爆した。(笑)
・就職活動は運と縁 ←ハァ?????
本当によく見かける言葉ですし、本当にそうなんだと思うけど、こういうのって全部、結局"運と縁があった人"の言葉なんですよね。人の成功体験は人の成功体験でしかないし、その運と縁がないから苦しんでるんです!!?!(半ギレ)
本当に結局運と縁も重要で、口が上手い人要領が良い人センスがある人が勝つ世界だと感じたし、学校の優等生は必ずしも優等生じゃないんだと。努力は報われるから努力しなさいと言うくせに運だ縁だと言って軽率にお祈りされる。成功と失敗のボーダーラインがこんなにもあやふやなシステムの中で人生かけて動いてたら上手くいかない人は辛いに決まっている。と思う。
こんな感じで見事に就活の闇に包まれ精神的に追い詰められました。1日に何度も自分を奮い立たせるのはしんどかったし、自信をなくして面接帰りに電車で泣きそうになったりもした。(笑)おかげで痩せたよ(^O^)就活ダイエット(^O^)←
まあでも今こうやって振り返ってみると、わたしの場合は7月までが完全にクズすぎた感しかない。
前述したように複数のエージェントを頼って一緒にちゃんとした自己分析してもらったり、とりあえず内定が取れそうな企業を紹介して貰ったりして、8月後半からは「ヲタクが出来ること」以外の軸(志望動機)も持って就活出来るようになったし、そうやって業界を変えてからは選考も割とポンポン進みました。最初の志望業界で上手くいかなかったのも今となっては納得の結果って感じ。
9月になってからはまた求人が増えた気もしたし、内定式までに終えなきゃという固定観念もなくなっていたので段々と闇を抜け出していきました。
適性と何より熱意が大事なんだと感じたけど正解はマジで全くわかりません。人それぞれ得意不得意、合う合わないがあって、対策方法も人それぞれなんでしょう。結局。
割と人生イージーモードだと鼻をほじりながら歩んできた人生だったので、良い経験にはなったと思うけど、もう二度とやりたくないです。
ゴールのない中をひたすら走り続けなきゃいけなくてワケが分からなかったし、結局ゴールなんかなくて入社してからどうするかが重要なんだろうなって思うけど、
どうにか乗り切った自分を少しは甘やかしてもいいかなと思ってます。
とりあえずおつかれさまでした!!!!!!!!!!!
アルバム『JUMPing CAR』をひっさげたツアーにするためにしてほしい3のこと
舞台「カラフト伯父さん」
*1:ひたすら伊野尾くんを褒め称える文になっていますが、彼の実力だけではなく脚本・演出の素晴らしさが前提にあっての話です。
Hey!Say!JUMP 24時間テレビメインパーソナリティへの軌跡
★2007年
- 9月24日結成発表、11月14日デビュー
- 「Ultra Music Power」オリコン初登場1位
- レギュラー番組「平成ファミリーズ」(中島、山田、森本)「Hi! Hey!Say!」(薮、八乙女)
- ファーストコンサート いきなり! in東京ドーム
★2008年
- ラジオ「Hey!Say!7 Ultra Power」開始(〜現在)
- 春、夏、冬にコンサートツアー開催
★2009年
- CDのリリースなし
- 「スクール革命!」(山田、知念、八乙女) 開始(〜現在)
- コンサート
★2010年
- 「ザ少年倶楽部」レギュラー出演開始
- ファーストアルバム「JUMP No.1」発売
★2011年
★2012年-2013年
- 初の海外ツアー開催を発表、5月香港公演開催
- 11月-1月座長として舞台「JOHNNYS' World」出演
- 2013年1月山田が「ミステリーヴァージン」でソロデビュー
- 全国へJUMPツアー開催、ドーム公演を行うも全く埋まらずスーパージャンピングシート・スカイステージなどを導入
テレビの仕事やCDのリリースが極端に少なく、ただひたすらにヲタク向けコンサートを開催しているだけのHey!Say!JUMPに飽きて、実際友人達もボロボロと降りていっていました。世間一般でも、依然としてメンバーの認知度には大きな差があって"みんなで一緒に"という意識が強いHey! Wa! JUMPには苦痛な環境だったんじゃないかなあと思います。そんな環境だったので、ヲタク側としてもテレビに出るとなればいちいちお祭り騒ぎしていたし、CDなんか1枚で短くとも半年は楽しんでた。超低燃費。
若くしてデビューし、箱庭で育った彼らは自分達の意志を大人たちに伝えることも、反抗することも出来なかったんだろうなと思います。