始まってる新時代

山田担を拗らせたジャニヲタです

コロナウイルス体験記

先日、新型コロナウイルスに感染しました。

東京都の感染者数は連日4,000人を超えていて(※2022年1月中旬)もう誰が罹ってもおかしくないなという状況の中、あ、本当に罹るんだなというのが正直な心境でした。

幸いとても軽症でしたが、何より新しい病気なので情報がない、というか錯綜していて、探り探りで過ごした隔離期間だったので、せっかくなので(?)自分の記録と誰かの参考になればと思いブログを引っ張り出しました。いまだに長文を書き連ねられるツールとなるとこのブログしか思い浮かばない私です。

なお、感染したのはHey!Say!JUMPの2年ぶりのアリーナツアー、Fab!-Arena speaks.-仙台公演の直前でした。行く予定でした。。。

 

20代後半、ワクチン2回接種済みです。

1月13日(木)

突如喉に違和感を感じる。でもまだ痛いとかでもなくて、ちょっと乾燥しちゃったかな~くらいの。水を飲んだりのど飴で治まる程度でした。仕事が忙しかったこともあり普通に出社して残業までしました。

しかしなかなか喉の違和感は治まらず、暑くなったり寒くなったりする感じもあったのでなんかおかしいなとは思っていましたが、暖房にやられたかな?(願望)と思い込んでいました。

 

1月14日(金)

朝起きたら喉の違和感がなくなっていることを期待して早めに布団に入るもなかなか寝付けず・・・朝起きたら喉は痛いし体が火照っている感じ・・・あきらめて体温を測ったところ37.8度でした。絶望。ただの風邪であってくれ。

慌てて発熱時の対応方法を調べました。私の場合は以下の通りでした。

①かかりつけ病院へ電話

一番近くの病院で発熱外来をやっていたので開院と同時に電話しました。

そのまま電話で医師の診察を受けることができ、症状が出ているのでPCR検査をしましょうということになりました。症状が出ている場合は検査自体は公費(無料)で受けられるとのこと。喉&発熱っていうのがいかにもオミクロン株の症状とのことでした。いやな予感。

PCR検査

指定の時間にPCR検査を受けに病院へ、待合室等は利用せず別ルートで。

この時に解熱剤や咳止めなどの薬も処方して貰えました。コロナ向けの飲み薬は副作用もあるため若い人には基本出していないとのことでした。(もっとちゃんと説明してもらったけど記憶が曖昧)結果が出るのは翌日の午後とのことだったので、ここから家庭内隔離が始まりました。何よりも陽性だとしたら家族に移してしまっていないかが不安でした。いい歳して実家に住んでいることをちょっと後悔する。

 

そしてさすがにコンサートも諦めるしかなく、一緒に行く予定だった友人に連絡し、怒涛の遠征キャンセル処理。落ち込んでいる暇もない。。。

友人の行動力と、キャンセル可能なものが多かったことにより、行けない上に大金を支払う踏んだり蹴ったり状態は回避することができました。感謝。

 

1月15日(土)

上がったり下がったりしながら、ほぼ丸2日ずっと微熱が続いていました。段々喉の痛みに加えて咳も出るようになり、喉が裂けて飛んでっちゃうんじゃないかと思うくらい痛かった。でも倦怠感とか息苦しさとかはそこまで強くなく、食欲も普通にありました。出されたものは食べられる感じ。

そして運命のPCR検査の結果、陽性。

もうなんかやっぱり半分、ガッカリ半分。症状としては質の悪い風邪程度だったので、何より周りの人達への影響が心配でした。結果は検査を受けた病院の先生が電話で伝えてくれました。感染者が増え保健所が手一杯のため、体調の経過観察は今後も先生が電話で行ってくれるとのこと。保健所からの連絡は休み明けになるかもしれないと言われました。

 

1月16日(日)

熱は完全に下がったものの鼻水が出るようになる。本当に風邪のフルコース!段々と喉の痛みも落ち着き、咳と鼻水メインに移行していきました。

やっぱり保健所からの連絡はなし。宿泊療養には保健所からの連絡を待たずして申し込めるようでしたが、そもそも電話が混み合ってて繋がらない。家族に感染さないなら出来れば自宅にいたい(本音)ので、とりあえず保健所からの連絡を待つことに。1日ずっと自室で過ごし、家族ともLINEでやり取りし、お風呂は最後に、共有部分はマスク着用&アルコールで拭いてから立ち去るようにしていました。

先生からの経過観察の電話はあり、症状的にも多分オミクロン株でしょうとのこと。

 

1月17日(月)

喉の痛みがほぼなくなる。症状が軽くなっている感じはするのに、この日は朝起きた瞬間から倦怠感がありやっぱり普通の風邪とは違うんだなと思う。月曜で社会が動き出したこともあってか、急激に色々なことが不安になりだす。とにかく早く私に濃厚接触者について教えてくれ~!保健所~~!

午後一で知らない電話番号から着信あり、喜々として出たら自治体の担当の方からの支援物資等の案内でした。勝手にガッカリしてごめん、有難うございます本当に…。とりあえず家族がいるので今は困っていないとお伝えする(無症状の濃厚接触者は要で急な買い物等はOK)。また状況が変わったらお願い出来るとのこと。

 

そして今日はもう来ないなと諦めた18時過ぎ、遂に保健所からの電話が…!社会人的には定時過ぎまでありがとうございますの気持ち。聞き取り調査の結果、濃厚接触者は同居家族のみに。一安心。

保健所の担当者との会話で分かった、私が特に早く知りたいと思っていたポイントは以下の通りです。

・濃厚接触者となる大きなポイントはやっぱり、発症前2日以降にマスクなしで会話をしたかどうか

・濃厚接触者の隔離期間は陽性者との最終接触から10日間

・条件を満たしていれば*1、同居していても完全に隔離をした日から10日間で考えて良い

・症状が出ていなければ濃厚接触者のPCR検査はしなくてもよい

・濃厚接触者へ保健所から連絡がいくような話は出なかった

 

ちゃんと家庭内隔離出来ているとのことで多少安心出来ましたが、一応宿泊療養にはエントリーして貰いました。この時点で同居家族・会社・友人誰も症状が出ている人はいないこともあり、ようやく少し安心できました。

 

1月18日(火)以降

ここからどんどん症状が軽快していき、喉の痛みは完全になくなりました。翌日には咳も軽くなり、ほんとにただの風邪みたいになって元気に部屋でゴロゴロしてました。引きこもりの素質がありすぎて全然苦じゃなかったです。笑

結局宿泊療養については最後まで連絡なく、明日23日で無事に隔離期間を終えます。感染者爆増だから仕方ないね。(ただ我が家は良かったけど隔離不可能な間取りだったら家庭内感染不可避だね。)まだ鼻水や咳は少し出ますが、少し症状が残っていても人にうつす心配はないとのことで予定通り隔離期間を終えられる予定です。

今のところ同居家族含め周囲で誰も症状は出ておらず、家庭内隔離で誰にも広めることなく乗り切れそうなこと、本当に安心しています!よく頑張った!ただゴロゴロしてただけだけど!ご飯とか全てやってくれた親に感謝です。

 

 

今や1日1万人とか感染者が出ていて、私のとき以上に全ての対応が追い付いてないんじゃないかなと思います。私は医師から連絡も貰えていたし、体調面での心配はほぼなかったですが、やっぱり周囲への影響が一番不安でした。オミクロン株が流行って、実際の症状が軽い人も増えた今、罹ったときにどう対応すべきかっていうのをもっとアナウンスしてほしいなと思いました。保健所からの個別連絡が追い付かないなら、その前にある程度の流れや対応を教えてくれるだけでも大分違うんじゃないかなと思います。というか必ずしも保健所からの個別連絡が必要だったかと聞かれると、知りたいことだけ知れれば別に良かったし。濃厚接触者の判定だって結局自分の記憶ベースでしかなかったので。

症状が軽くても、特に世間で騒がれている今、やっぱり周囲に広げたくない人が大半だと思うので、分からずに行動してしまう人を減らして、本当に必要な人に支援が行き渡るようになるといいなと思いました。

 

ついに自室軟禁から解き放たれるのが嬉しくもありつつ、仕事や日常に戻るのが少し面倒でもある複雑な気持ちではありますが・・今回休ませてくれた仕事の方々や、色々フォローしてくれたり連絡をくれた皆様に感謝して頑張って生きていきたいと思います。

*1:陽性者との接触が完全になし、ご飯等もドア前受け渡し、お互いマスク着用、トイレは使用後消毒、お風呂は陽性者が最後に入る

絶対エースとプロデューサー

 

先日開幕した舞台ジャニーズアイランドでの山田のジャニーさんへのコメントを聞いて、もう今めちゃめちゃ中途半端な立ち位置であるにも関わらず黙っていられなくなり、久々にはてブロを引っ張り出しました。久々に文章書きたい欲が高まってたのでちょうど良かった(?)語り癖はいつまで経っても治らないし、いつまで経っても初演JWの亡霊です。もうはてなブログってオタクの中で廃れてて今更だったりするのかな…大丈夫?(でも書く)

 

わたしはジャニアイは観ていないので、Twitterのレポや友人から見聞きしただけにすぎないけど、山田からジャニーさんへのコメントは大体以下の通りです。

 

俺のことを嫌いって言ったよね。でもこの舞台のセンターに立たせてくれた。信じてくれて嬉しかったよ。あなたが作ったこの場所は、俺たちが守っていくから…(以下略)」

 

初めてこの言葉を目にしたとき、息が止まるかと思いました。山田がジャニーさんに嫌いと言われていた、という事実に驚いたからではなく、これまで感じてきたこと全ての答え合わせのような言葉だったから。

「嫌いって言ったよね」は、Jr.時代に他の子達にハメられて誤解したジャニーさんに一度「YOU嫌いだよ!」と言われたことだけを指しているんじゃないかなと思っています。でも、ジャニーさんへのメッセージの第一声にこの言葉を選んだこと、そして""でも""この舞台のセンターに立たせてくれた と言っていることから、ジャニーさんのオキニではない実感が山田の中にもあったんだな、と思わずにはいられませんでした。山田って「俺ジャニーズだから」的な発言をよくしていて、勝手にジャニーズ背負いがちだと思うんですが(褒めてる)誰よりもジャニーズに誇りを持っているのに、ジャニーさんから好かれていない実感を持ってたなんて、そりゃ持ってたよなって感じだけど、でもやっぱり苦しすぎるなって。

 

Hey!Say!JUMPの絶対エースとしてセンターに立ち続け、色んな仕事を貰ってきた山田だったけど、ファンとして見ていて、ジャニーさんに気に入られていると思ったことは一度もありませんでした。

この目で見てはいないけどJr.時代も推されていたわけではなかったようだし、グループ結成時にジャニーさんが選んだセンターは裕翔くん(オキニ)だったし、山田からジャニーさんとの愉快なエピソードが出てくることもほとんどなかった。優馬(スペシャルオキニ)とNYCというグループは組んだけど、当時のJUMPは完全なるやまちね2強だったので、優馬を売るために、人気者枠として呼ばれているんだろうなとしか思えなかった(捻くれがスゴイ)

山田はJUMPのセンターになったし、NYCにもなったし、ドラマにも出ていたし……仕事はたくさん貰っていた。誰がどう決めるのかは分からないけど、ジャニーさんも山田を認めてくれていたんだとは思う。嫌われていたとかではない、ハマってなかった。ジャニーさんから直々に、ジャニーさんが企画制作するような仕事に呼ばれることはほとんどなかっただけ。だから、2017年のジャニアイで「帝劇ガチャ」と呼ばれた縁のある先輩たちが完全ランダムで出演するコーナーがあったとき、山田も出るに違いないという雰囲気があったけど、どこかで山田は出ないんじゃないかなと思っていた。

やっぱり出なかった。

あぁやっぱりジャニーさんの描きたい世界に山田はいないんだなーと思った。スケジュールとか色んな都合があったのかもしれない、でも、わたしの中ではあれが、ずっと感じていたものが確信に変わる決定的な出来事でした!!!!!(ちなみにこの帝劇ガチャから排出されたJUMPメンバーはYa-Ya-yahとして薮光と、岡本健一パパとセットで圭人のみ)

 

そんな山田が唯一ジャニーさんから直々に舞台のセンターを、ジャニーさんの想いを任せて貰ったのが初演JWで。なんかもう山田がジャニーさんの描く世界の中心にいたなんてほぼほぼ奇跡じゃん(?)当時インタビューか何かで山田が「ジャニーさんから直々に歌に込めた想いを教えてもらって指導してもらった」と言ってたのがなんかずっと印象に残っていて。そうやって直接任せて貰ったこと、嬉しかったんだろうな〜。そうしてジャニーさんの想いをバチバチに背負って、もはや色んなものを背負い込みすぎて病んでたけど、帝劇のセンターに立つ山田は、めちゃめちゃに儚くてめちゃめちゃに輝いていた。ようやく託されたジャニーさんの想いを表すことへの気概がそこらへんのジャニーズとは違った。なんかもう伝説レベル。

JUMPがジャニーさん管轄の仕事に呼ばれたのはこの初演JWが最初で最後だった(と思う)。映像化もされていない。映像はあるようなので切実に売ってくれ。今となっては幻のような3ヶ月で、やっぱりジャニーさんの作るエンターテインメントはジャニーズにとって特別だったと当時も今も思うし、だからわたしはいつまでも初演JWの亡霊なんだと思います(?)

 

甘やかされなかったから山田の負けず嫌い精神に火がついてここまで上り詰めた、と考えられなくもないので、ジャニーさんがどこまで分かって山田に接し育てようとしていたかは分からないけれど。努力と実力で絶対エースというポジションを、そして初演JWのセンターを掴み取ったこと、本当に凄くて誇らしいことだと思うので、わたしは山田がジャニーさんのお気に入りじゃなかったことはあまりわたしたちが悲観することではないと思っています。与えられなくてもジャニーズを背負えたのは山田だからだと思うし、そんな山田をジャニーさんはちゃんと認めて、ジャニーズを任せてくれていたんだと思います。

そして山田は、公演中に高熱があっても、辞めようと思ってても、いつも全てが大丈夫になってから「実はあのときこうだった」って言うので、ジャニーさんとの関係性ももうとっくに大丈夫なものなんじゃないかなと思っています。突然の答え合わせにびっくりしたけど、ジャニーさんがいなくなった今このタイミングで、わたしたちの長年のモヤモヤも昇華させて貰えた気がします。山田はいつ如何なるときも、安心と信頼を与えてくれる絶対的アイドルでやっぱり凄いな〜と思う。

 

きっとこれからも山田はプロデューサーの想いを背負って、絶対エースとして生きていくんだろうな。

 

JUMPとJr.を掛け持ちして思うこと

 

アリーナから初の4大ドーム公演まで、約半年続いたHey!Say!JUMPのSENSE or LOVEツアーが幕を閉じました。ツイートで、と思ったのですが長くなってしまいそうだったので久々にブログを書いてみることにしました。

 

私はJUMPの10周年イヤーに突然SixTONESの京本くんに沼落ちし、あわや担降りかというところまでいったものの、ほぼ意地で10周年イヤーを見届けるうちにやっぱりHey!Say!JUMPが、山田が好きだよ~~~(泣)となりめでたく掛け持ちオタクとなりました。元々オタクは単なる趣味だから担降りだろうが掛け持ちだろうが自由だと思っているので、葛藤したわけでも明確にいつから掛け持ちします!と宣言した訳でもないのですが。

掛け持ちオタクとして参加した今回のドームツアーを終えて思ったことがあって。元々少なからず視界に入りたいタイプのオタクなのでドームなんてあり得なかったし(それでも行くけど)、山田のコレが見たい!というのもあった(ありすぎた)けど、それが薄れた今、JUMPコンってやっぱり楽しいし、JUMPや山田を見てるときの安心感というか信頼感というか、って凄いな~と。

 

オタクとしての本質は変わってないのでw今まで山田に向けてきた熱量が他の対象に移ったとき、山田への興味も薄れたってことなのかなとずっと思っていました。

でも昔も今もこれからも、アイドルとして一番信頼出来るのは山田涼介だなって思うんですよね。いつ見ても、熱愛報道までもが、山田涼介って最高に山田涼介で、それってやっぱり凄いことだなって。あとやっぱり顔が一番かっこいいっスね(ドストレート)

 

今や、大真面目に僕との行為を想像してほしいとか言ってみたり、東京ドーム公演では公演中に髪型を変える度に好みじゃなくなっていったり「オイオイオイwww」ってなるところも含めて山田だなあと思えるので(もはやただカッコいいだけの山田なんか物足りないですわ🤷🏻‍♀️笑)、これからも彼らしく、彼ららしく、笑ってアイドルしていてくれたらそれで良いなあ、それを見ていたいなあと思ったんです。

…結局ゴリゴリの激重山田オンリー担やってたときと同じこと言ってるよね!!?

担当の定義も人によって違うと思うので一概には言えないけど、わたしにとっては多くの熱量をそこに向けれる相手だけが自担じゃなかったということなんだろうなあと思います。だから一昨年も山田から降り切れなかったし、もはや降りる気もないし、かといって1番に優先してるわけでもないわけです。

今かけている熱量だけを考えたら圧倒的にわたしはJr.担だと思います。でもきっと掛け持ちにも、熱量を一定の割合で分散させる人・時と場合によって熱量の矛先を変える人・全く別の対象としてそれぞれを見ている人等々色々あって、わたしは熱量に関係なくまだ自分のことを山田担だと思っているので、思えたので、これからも山田担ですどうぞよろしく!(?)

 

掛け持ちであることを後ろめたく思ったことは1ミリもなかったけど、自分の中でどういう棲み分けなんだろう?もし1日限りのライブの日程が被ったらどっち取るんだろう?っていうのはずっと考えていたので、少しでもそれが明確になった気がして勝手にスッキリしてます。ちなみにライブはどっち行くかその時まで分かりませんね。笑

会場がドームになっても、現場に足を運ぶ数が減っても、出演番組を見なくなっても、JUMPから完全に離れることってもうないんじゃないかなと思うので、これからも適度に楽しく掛け持ちオタクしていきたいと思います!

 

私が見てきたHey!Say!JUMPの話

 

Hey!Say!JUMP

10周年おめでとうございます!

結成日でもデビュー日でも何でもないタイミングでこんな記事を公開するズボラ具合な✌︎('ω')✌︎思う存分語り厨を発揮するなら10周年の今しかないのでは?ということに9月24日に気づいてから細々と書き続け出来上がった途端にデビュー日を待てずに公開してます。(頭悪そう)

 

Hey!Say!JUMPは、山田は、わたしの青春を捧げてしまった大きな大きな存在で。そんな青春を共に過ごしたHey!Say!JUMPの10年を、あくまでもわたしの目線で振り返ってみたいなと思います。ほとんどが私の自分語りみたいなものですし、クソほど長いので読んでくれる物好きな方は覚悟してください。事実ベースでは24時間TVのパーソナリティが決まったときに少しまとめた記事を書いたので、興味のある人はそちらを見てください。

Hey!Say!JUMP 24時間テレビメインパーソナリティへの軌跡 - 始まってる新時代

 

 

私はいわゆる「永遠の新規」ってやつなので、探偵学園Qを見て山田涼介に(というか流に)落ち、同時期に期間限定デビューした旧Hey!Say!7にもハマり、そのままHey!Say!JUMPに流れ込んだ事務所の思惑にまんまと嵌まったモデルケースみたいな山田担です。(笑)

当時中2だった私はSMAPが大好きだったし、時代の波に逆らわずKAT-TUNも好きだったので山田くんが初めてのジャニーズ っていう訳ではなかったけど、 いわゆるジャニオタではなかったしJr.にも全く詳しくありませんでした。なのでHey!Say!JUMPのデビューを普通に喜んでいた側の人間なのです。突然結成されたJUMPを受け入れることに何の戸惑いもなかった。エッYa-Ya-yahハロモニの後に番組やってたから知ってた)の残りの2人は!?そんな残酷な話あるの!?とは思ったけど、とにかく今まで存在すら知らなかった大好きになったばかりの山田くんのことを応援し続けられる方法が簡単に見つかったのが嬉しくて、それだけだった。 

Jチケット(懐かしい)で、一緒に知念くんにハマった友達(もちろんとっくにオタ卒している)がチケットを取ってくれてお互いの親と4人でデビューコンサートにも行ったけど、そういった空気感や裏事情みたいなものには一切気づかなかった。めちゃ裕翔くん中心でセトリ組んであるのに露骨に歓声少なくて可哀想すぎないか…?とは思った記憶がある。ガチで1番上の席だったけど初めて生で山田くんやJUMPが見れてとにかく楽しかった。無知ってすごい。今はデビューコンのDVDとかちょっと怖くて直視出来ないもんね。

 

でもそういう他の人への興味のなさというか、意識が向いていない感じが、デビュー数年後までJUMPやファンの間にあった当たり前の空気感だったと今となっては思う。色んなものを犠牲にして生まれたHey!Say!JUMPは、最初は本当の意味でグループではなかったんだと思います。本人達にも、ファンにも、JUMPじゃなければいけない理由はどこにもなかった。だからファンも自分の担当に会えればそれで良かったし、メンバーもJUMPとなった自分に与えられる仕事を全力でこなしているだけだったんじゃないかな。そうじゃなければ薮くんが数か月前から決まっていた舞台の仕事で不在なのにJUMPのコンサートが開催されていいわけがなかったし、ファンも「え?」と言いつつ結局当たり前のように足を運ぶわけがなかったと思います。笑

 

デビューコンでの歓声量を受けて2ndシングルからは山田がセンターとなり、裕翔くんはみるみる端に追いやられ、知念くんが2番手に踊り出て、その2人に仕事が集中するようになっていった。残酷すぎるくらいあからさまなメンバー内格差があったし、デビュー組とは思えないくらい世間に浸透していなかった。いつからかJUMP担であることはひた隠しにするようになった。(笑)JUMPとしてひたすらコンサートを開催しグループとして活動こそしていたけれど、世に出るメンバーは限られていて、今思えば全てがバラバラだった。NYCとの掛け持ちはその最たるものだったなと思う。

なんか思い返したらイライラしてきたけどあれでどちらもグループとして成功するわけがなかったよな?!2人が、特に山田が、自分の本来の所在すら安定していない状態で上手く棲み分けが出来るわけもなく、あの3人は好きだったけど私はNYCを素直に応援することが出来なかったし、JUMPが安定して、本人たち含めみんながようやくNYCを上手く消化できるようになった気がしてきた頃にはNYCは自然消滅してた。なんやねん!!!!! 

話は逸れましたが、そういった意味でSUMMARYやJWは本当に大きかったと思います。あれ以上に特別な夏や冬はもう来ないと思ってる。何がそんなに特別だったのか、と聞かれると参加している当時は単純に楽しんでいるだけなので具体的には分からなかったりするんですけど(クソ)有岡くんがI/Oツアーオーラスの挨拶でSUMMARYなどの長期公演を"修行"と言い、そのおかげで信頼関係が築けたと言ったと聞いて、そういった目に見えないものを共有できた感覚が振り返ったときに特別だったりするのかなあと思いました。有岡くんはいつも我々に正解を教えてくれるな(?)

明確にこの瞬間に!と言えるわけではないけれど、SUMMARYはHey!Say!JUMPがちゃんとグループになるきっかけの一つであったのだと思います。

 

そして少しずつグループとしてのJUMPが出来上がってきた頃、ちょうど2回目のSUMMARYの前かな、メンバーの無期限活動停止という名の脱退があった。そんなことがあるわけはないと思っていたので、深夜に速報を目にしたときの衝撃と、朝が来るのが怖かったことは凄く覚えてます。でも世間的にはさして大きくは扱われなかったような気がして、世間との乖離を改めて感じた瞬間でもあったなあ。

もう10人のJUMPは見れないんだろうと理解はしていながらも、どこかで龍太郎が20歳になったらもしかしたら…とか期待している部分もあった。伊野尾がwebの日記で龍太郎への隠れメッセージを出してくれたりして、メンバーも少なからずそうだったんじゃないかなあと思います。この事件含め色々なことを乗り越えていく9人のJUMPの姿を見ているうちに、段々とそんなことは思わなくなっていったけれど、10人のJUMPも良いグループだったよ。だから無かったことにはして欲しくないなあと思う。10人のJUMPも、9人のJUMPも、Hey!Say!JUMPであることに変わりなくて、10人のJUMPのことも大好きでした!ありがとう!

 

そして、こうやってどんどんグループとなっていったからこそ苦しんだのが山田だと思います。(もちろん他のメンバーも苦しかったはずだけど)大好きなメンバーと全員横並びで進んでいきたい願望が一番強かったはずなのに、自分ばっかりで。

ソロデビューをしたJW時期が最高に病んでた。JWが終わったら事務所を辞めることまで考えていた山田は、皮肉なことに病めば病むほど儚くて美しいので最高に美しかったけど(笑)これも辞めないでいてくれる今だからこそ言えることで。JUMPが歩幅こそ違えど同じ方向を見て一緒に進んでいけるグループになっていてくれて良かった。山田が山田の背中を押して、そして帰る場所を作って待っていてくれるJUMPのメンバーで良かった。JUMPだったから、山田は今もまだアイドルで居続けてくれているのかもしれないなあと思います。

 

でもJWという修行を終えて信頼関係を築きあげたJUMPを待ち受けていたのは明るい未来なんかじゃなくて、人気の低迷期だった。正直低迷というか高かったことがなかった感じだけど(爆)実際ファンサという距離の近さだけで繋ぎとめていたファンはボロボロ降りていっていたし、後世に語り継がれるであろう(?)スーパージャンピングシートとスカイステージを設置し席をビニールシートで潰しまくったドームコンサート(※後輩の援軍つき)。ファンに向かってドストレートに「離れないでください」とか言っちゃうくらいには追いつめられていた。ファンとしても、JUMPの仲の良さとか平和な空気感は間違いなく彼らの長所だけれど、あまりの俺が!俺が!精神のなさに憤ったりもしたし、顔だってめちゃ良くて(ド直球)、こんなに魅力的なのに何故世間で流行らないのか理解に苦しんだりもした。笑

 

でも今となっては、本当に今となってはですけど、全部ぜんぶ必要なことだったんだな〜と思います。コンサートの構成や当時の色々な発言を切り取っても、ずっと大人の言う通りにしてきたのであろうJUMPの活動に、彼らの意志が反映され始めたのはこのあたりからだったと思っています。大人数であることを活かしてダンスを揃えることに力を入れ始めたことや、魅せることを意識したコンサートを作り始めたこと、アンオフィシャルではありますが派閥を変わったこと。ぶっちゃけその過渡期にあっておそらく初めて本人達が構成に携わったsmartツアーは衝撃のつまらなさだったなと今でも思ってるけど(笑)

そこからのJUMPはもう怒涛の勢いで。

 

TVや映画に出れるようになって、メンバーそれぞれ個人としての仕事も増えて、当たり前のように毎年CDが出せて、春夏冬にコンサートをやらなくなって、コンサート会場から外周が消えて、何公演でも取り放題だった(語弊)チケットが全然取れなくなって。ファンっていうのは自己中な生き物なので、正直こちらが着いていけなくなるくらいのスピードで前に進んでいくJUMPに寂しさを覚えたりもしたけれど。

 

ファンに「離れないでください」と言っていたJUMPは「僕たちを信じて着いてきてください」って言うようになった。変わった部分も多いけれど、JUMPは相変わらず仲良しこよしだし、俺が!俺が!ではなくファンとメンバー全員で一緒になって進もうとしてくれている、のだと思う。Hey!Say!JUMPは本当の意味でグループとしてメンバーが帰ってこれる揺るぎない場所になったし、次々に決まる個人の仕事だって決して1人で突っ走っているわけではなくグループに還元されるようになった。もっと愛されるべきだと思っていたJUMPは本人達や周囲の人含め、多くの人に愛されるようになった。Hey!Say!JUMPはこの9人じゃないといけないんだと胸を張って言えるようになった。

正直こんな10周年が来るなんて思ってなかったけど、それを見て、今まで10年間彼らを応援してきたことに何も後悔はないなと思った。そして何より、お金とか色々犠牲にしたしこれだけ色々書いてきたけど(笑)勝手にJUMPと一緒に歩んできた10年は、とにかく楽しい10年だった!それだけ!

 

10周年、目標のひとつだったドームツアーも決まったけれどここはまだまだ通過点だと言う、どんどん前に進んでいくJUMPに、これまでと同じように着いていくのは無理かもしれないけれど、彼らのことはずっとずっと応援していたいと思う。ひとつでも多く彼らの夢が叶うといいな。

 

10周年、本当におめでとう!

10年間、Hey!Say!JUMPでいてくれて、好きでいさせてくれてありがとう!

Hey!Say!JUMPは本当に最高のグループです!

 

東西SHOW合戦がとても楽しかった話

 

すごくすごくお久しぶりのブログ更新となりまして。

 

ブログを更新しない間に何故かわたしはJr.現場に手を出し、まんまと沼に片足のつま先を突っ込んで帰ってきました。まだ片足のつま先だけだから。

最ッ高に楽しかった…!!!!!!

「今のJr.には誰にもマジで興味持てない(鼻ほじ)」とか言ってたわたしは何処へ。あぁ。

 

 

ずっと昔から存在は知っていたし何度も生で見たこともあった京本大我くんに、本当に、本当に突如興味を持ったわたしの前に現れた東西SHOW合戦とかいうデビュー担にはあまり馴染みのない謎現場 in 新橋演舞場

最初は「イヤイヤまだ現場に1人で行くほど興味はないわ✋🏻」などと自分に言い聞かせてそんなに行く気もなかったのですが、あまりに評判が良いので結局どうしても行きたくなって行きました東西SHOW合戦。1人で。

でも本当に行ってよかったです現場は行きたいときが1番の行きどきですね!!!(?)

 

 

・OP(IN THE STORM)から最高

「〜〜〜〜、SixTONES!」(記憶が雑)って紹介されてステージが開いて出てきた瞬間IN THE STORM歌うわけですよ。強い。超強い。曲調も絵面もストンズも掴みとしても何もかもが強い。このオリ曲は強い。

 

 

・関西のさすがのノリと実力

なにせつい最近までJr.には興味がないと鼻をほじっていた人間、京本大我さんの属するSixTONESについてはそれぞれ昔から知っている&Youtubeで夜な夜な動画を見ていたのでいいのですが、"東西"SHOW合戦の"西"の方がまあワカラナイ。名前と顔しか知らない。下手したら名前と顔も一致してない。こりゃ関西コーナー暇だな…と思っていたのですが、全くそんなことなかった〜〜!

口を開けば笑いを取りにいく、かと思えばガシガシ踊る、かと思えばすぐボケる、暇してる暇がありませんでした。さすがの関西のノリと実力!お陰様でずっと楽しかった!これ、今回の東西が楽しかった要因として、とても大きいと思うのです。

 

 

大西流星くんがかわいい

そして大西流星くんのかわいさ。チビ流星のイメージしかなかったのですがいつのまにあんなに大きくなったんですか。

妖精さんの格好をしてお兄さん達がボケ倒している間(長時間)も律儀にずーーっと眩しがり続ける健気さとか、みんなに可愛がられてる姿に婆心がくすぐられました……今まで全く気づいていなかった自分の中のショタの可能性に気づいてしまった感は正直ある。  だからもう見ません(?)

 

 

・猫中毒が天才

そんな大西流星くんときょもほくが猫の格好してニャーニャーシャーシャー言うけしからん曲。わたし今までヲタクやってきてジャニーズにあんまり可愛いを求めてこなかったんですけど、これは酷い。これはずるい。無意識にニヤニヤしてる自分に気がついて鳥肌立った。圧倒的に自分たちへの需要について理解している天才的な選曲。怖い。

ヲタク相手にぶりっ子すると言うよりも、流星くん相手にニャーニャーシャーシャーしてる大我が最高だった。映像をください、お願いします。

 

 

・Amazing!!!!!! すごい

自分の記憶力と表現力のなさ故にあほっぽい感想しか出てこないんですけど、すごいんです。SixTONESの新曲らしいですけど世界観ゴリゴリ。あれだけしっかり世界観を見せられるのも凄い。早く少年倶楽部でやってください。このオリ曲も強い。

 

 

 ・京本大我がめちゃめちゃにアイドル

最初は雰囲気に騙されてたんですけどよくよく見てるとバスケではバックのJr.かな?みたいなアシスタント業務しかしてないし、唯一バク転もしないし(親が過保護なので)、喋ると頭おかしいし、アッこの人結構ぽんこつだなってすぐ気づいちゃったんですけど。それ以上の歌唱力と顔面力と何より圧倒的な自分を魅せる力。めちゃめちゃアイドルだった。パフォーマンス見てるとそうそう!それそれ!!それが見たかった!!!ってなるし、なんならこちらが見たいものを超えてくるからいちいち最高だった。

 

 

 

そんな感じで東西SHOW合戦は歌あり、ダンスあり、バスケあり、みんな大好き和装あり、コントあり、ロシアンたこ焼きあり、それぞれの新曲ありの、かっこよくてかわいくて笑える最高な現場だったのです。ちょっと覗くだけのつもりで扉を開けてみたら開けた途端沼だった感……(⌒-⌒; )

 

正直SixTONESKAT-TUNに寄せたスクールカースト上位集団(苦手)くらいに思ってたんですけど、彼らは自分たちの魅せ方をちゃんと分かってるなと。自分達の魅力も、求められているものもめちゃめちゃ理解した上で、それをちゃんとパフォーマンスで見せてくる。スゴイ。めっっちゃアイドル。ゆえの圧倒的強さ。

あとは、パフォーマンス以外での自分達の見られ方ももう少し意識出来るようになったら、このグループは恐ろしいなと思いました。

 

ずっと山田とJUMP以外には大した興味もなくやってきたので(SMAPは別枠)ここに自ら望んで足を運んだこと自体が個人的には結構な大事件。2017年、こんなはずじゃなかった。だが後悔も反省もしていない。普段よく行く現場は大体セトリには不満しかないところを本人達の魅力だけでカバーしているような現場だから…………………

 

これだけみんなが声を揃えて「最高」って言う現場ってそうそうないし、その高揚感というか一体感というかを感じられてラッキー!あんなの味わったらちょっとスト担してみたくもなっちゃう()   たまたま京本さんのことが気になったタイミングが東西直前だったのはかなり運が良かったなと思います。一歩間違ったら不幸でもあるけどね。もういい大人だから間違わないようにするね。

 

終わり方が分からなくなりましたけど、以上、東西SHOW合戦が最高だったという話でした。ありがとうございました。

 

 

SMAPにふさわしくない終わり方

 

ショックとも、悲しいとも、悔しいとも違う。腑に落ちず、受け入れられない。

 

なんでなんだろう。

SMAPはなぜ、こうならなければならなかったんだろう。

 

解散騒動が、あの悪夢のような謝罪会見によって一度収束を見せたときわたしはこのブログにこう書いた。

これだけ事が大きくなって何も問題点が改善されずSMAPだけが淘汰されていくのだとしたら、本当にそこには絶望しか存在しない。

絶望しか存在していなかった。

そんな世界で彼らは今まで25年も戦い続けてきたのだろうか。

 

様々な報道がされている。

拓哉さんは最初から最後までただただ悪者だし、今では慎吾ちゃんつよぽん吾郎さんも悪者だ。ファンの美化妄想だと言われたらそれまでかもしれないが、今の報道にはどこにも真実など存在していないような気がする。なぜ誰かが悪者扱いされなきゃいけないのか。あの事務所のクソババア()以外、誰一人だって悪者であるはずがないのだ。

 

SMAPはどれだけ大きな存在になろうとも、常に誰かのために行動してきたように思う。

スマスマの最後でいつまでも必ず流している募金のお願い。事務所が抹殺しようとする森くんの名前をいつまでも挙げ続けたこと。20周年の記念イベントで大勢のファンのお見送りをしてくれたこと。解散報道の中で、世間の声を聞いて存続を選ぼうとしてくれていたこと。

いつだって自分たちの人気や利益よりもファンのことを考えてくれていたし、いつだってメンバーそれぞれがSMAPのことを考えていた。そのためにきっと、大きな何かと何度も戦い続けてきてくれたのだろうと今となっては思う。だからこそ彼らは国民的スターになれたのだろう。

確かにSMAPには目に見えやすい仲の良さとか、そういったものはなかったかもしれない。でも何にも負けないSMAPならではの絆は確かにそこに存在していた。

100人相手でもSMAPを守れると言っていた中居くんが、何度メンバーが欠けてもSMAPを守り続けたメンバーたちが、誰よりもお互いを尊敬しSMAPを誇りに思っていたSMAPが、こんな形で解散を選ばなければならなかったのはなぜなのか。

 

せめて最後までアイドルでいて欲しかったのだ。取り繕ってでも、これまでの彼らの活躍にふさわしい最高のエンディングくらいは用意してほしかったのだ。「みんな本当に今までありがとう!」って笑顔でオリジナルスマイルかなにかを歌いながらファンに手を振ってほしかったのだ。彼らの言葉を聞きたかったのだ。それを涙でぐしゃぐしゃの顔で「ありがとう」「本当におつかれさま」って見送りたかったのだ。

 

そうじゃない。今のSMAPはそうじゃない。だから諦めがつかない。これだけの功労者であるSMAPがなぜこんな仕打ちを受けなきゃいけないのか。SMAPぞ?国民的アイドルSMAPぞ???????????

本人たちの言葉なんてどこからも流れてこない。強大な事務所の力と、それに屈したマスコミの言葉。もううんざりだ。私たちにはもう何も分かりっこないのだと思う。日本のエンタメ業界は思っていた以上にに夢も希望もクソもない場所だった。プロダクションが大きな力を持ちすぎた日本のエンタメ界の最初の大きな被害者が大好きなSMAPであること、そしてその世界にまだわたしの大好きなグループが居ることが、虚しくて仕方ない。

確かに優等生ではなかったかもしれないけど、SMAPってそんなに悪いことしたかな?もう続けてとか返してとかは言わないけど、でも、こんな形で失いたくなかった。

 

SMAPはもっと幸せになるべき素晴らしい人たちだよ。

絶対的エースという人生


こうして一方的にお祝いするのもどうやら8〜9回目になるらしい(曖昧)。いや二桁目前かよ。そこらへんの友人より断然祝ってる。冷静に怖い。

少し前までは、誕生日なんて日には考えなくても湯水のごとく彼への激重な思いを書き連ねることが出来たけれど、今は、考えても考えても、いつもの激重語り厨全開の文章が思い浮かばないことに気がついた。そこで逆に無理矢理長文をひねり出してみたらどうなるのだろうと思った。と、いうことで担当の誕生日にブログを書くというゴリゴリのオタクみたいなことをしている。(※ゴリゴリのオタク)


しかし、どれだけ考えてみても最終的にいきつくのはこの2つだけだったのだ。


・出来るだけ多く、何も考えずに心から笑える1年でありますように

少し前までグループを背負って、様々なことを犠牲にしてHey!Say!JUMPの顔で居続けていた彼は、良くも悪くも考えすぎて抱え込みすぎる人なのではないかなと思う。グループのためでもファンのためでもなく彼自身が、心から、昔から変わらないあの笑顔で、大口をあけて笑える時間が少しでも多くあってほしいな、と心から思う。


・努力が1つでも多く形になりますように

努力が全て結果に繋がる世界ではないとは思いますが、彼はこれまで色々な景色を私たちに見せてきてくれました。真面目すぎる彼が、ときには神経をすり減らして必死にしてきた(している)努力が、1つでも多く形となってほしい。ずっと誰よりも輝いていてほしい。これは担当のエゴだろうけれど、どれだけ伊野尾くんが可愛くたって、新規ファンを大量獲得してきたって、レギュラー番組を大量獲得してきたって、JUMPのセンターは彼でなければいけないと割と本気で思っている。



まあ色々言いましたけど全てまとめてひっくるめれば「活躍して幸せでいてほしい」それだけだ!!!!!!!!

何度も言ってますが正直、前のようには応援出来ていないし着いていけてない部分も多くあって。(そういった中でわたしは今、わたしの中の彼を更新するのを辞めてしまっているのかもしれないなとも思っている。)
それでも彼はわたしにとって絶対的存在で在り続けているし、間違いなく絶対的エースであり絶対的アイドルなのである。これだけはきっともう何があっても変わらないことなのだと思う。これまでの22年間、わたしを含めた大勢にそう思わせる生き方を彼はしてきたのだ。

彼と同じだけの歳を重ねていくうちに、自分が彼に何を求めているのかは分からなくなってきました。でも、とにかく誰よりも多く夢を叶えて輝いていてほしい。そして同時に誰よりも幸せでいてほしい。


アイドルとして、絶対的エースとして生きてくれてありがとう。23歳の1年も、あなたにとって幸せで充実した1年でありますように。

山田涼介くん、誕生日おめでとうございます。